日本人が長い歳月の中で培ってきた伝統的な文化や美しい言葉は、近年の著しい社会変化の中で失われようとしています。
穏やかでゆったりとした心を取り戻すためには、古くから伝わる日本の文化に親しむことにあると思います。

私たちは、高槻市の文化芸術の振興、とりわけ伝統芸能「能楽」に触れることで、
心豊かで創造性に富む、いきいきとした魅力あふれるまちづくり、
市民一人一人が文化意識の向上と誇り高き文化の香るわがまち「高槻」を更に進展させる事を目指し、
「たかつき能楽に親しむ会」を設立いたしました。

能楽を育んだ高槻の歴史

わがまち高槻の歴史では、高槻藩主永井日向守直清公はことのほか能楽に造詣が深く、古い資料によると、二代将軍秀忠公、三代将軍家光公の御前においてたしなみを超えた素晴らしい芸風で江戸城二の丸の舞台にて、立派に舞を勤められたといわれております。当時は、武家の教養の一つとして謡曲(ようきょく)や仕舞(しまい)、鼓(つづみ)や太鼓はごく自然に習われており、直清公も自ら能を愛好し、家来達にも積極的に能楽を嗜むよう指示していたといわれています。

ご承知のように、永井直清公は慶長9年(1604年)14歳で二代将軍徳川秀忠の小姓として仕え、江戸幕府から多大な信頼を得た譜代大名です。慶安2年(1649年)59歳で高槻城に入城し、高槻藩の礎を築き、その後永井家は明治維新まで13代の永きにわたり、高槻城の城主として高槻藩を治めてきました。
この様に、高槻には能楽を育んだ歴史があり、昭和の初めごろまでは、高槻城跡に残る野見神社境内の能舞台(現在は敷き舞台)でも華麗なる幽玄の世界が数多く繰り広げられていました。

高槻の伝統能の再興に

現在、能楽はユネスコの世界無形文化遺産に認定されております。
本会は、これらの経過を踏まえ、能楽(能・狂言)に広く子どもから大人まで親しく触れていただき、古典芸能の素晴らしさを理解してもらうため、市民を対象とした能楽鑑賞会や教育機関に対する能楽の出前講座などを開催し、古くから続いてきた高槻の伝統能の再興を目指すものです。

高槻の伝統能の再興に

現在、能楽はユネスコの世界無形文化遺産に認定されております。
本会は、これらの経過を踏まえ、能楽(能・狂言)に広く子どもから大人まで親しく触れていただき、古典芸能の素晴らしさを理解してもらうため、市民を対象とした能楽鑑賞会や教育機関に対する能楽の出前講座などを開催し、古くから続いてきた高槻の伝統能の再興を目指すものです。

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